Lens Impression
タナーレンズの中でも5cmf1.2に次いで明るい、5cmf1.5です。製造数は500とも言われますが、明確にはわかりません。
1957年に発売されたタナックSDに装着されました。タナックSDはニコンS2と共通点の多いボディで、等倍で60o基線長のパララックス自動補正式アルバダフレーム一眼ファインダー、レバー巻き上げ、でクランク巻き戻し。セルフタイマーも装備されています。シャッター速度はT、B、1-1/1000秒。というハイスペックです。
このレンズもヘリコイドにはかなり深い溝がありますが、f1.8とは異なり、色は黒一色です。
レンズ構成は、典型的f1.5のゾナータイプ。f1.8の個体とは同じゾナータイプとは思えないほど、切れの良いレンズです。ただ、不思議なことに開放f1.5の時だけは、かなり強烈な味わい(?)を示してくれ、まさにお気に入りのパターンです。
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1957年、タナックSD(外観はニコンS2類似、パララックス自動補正、等倍ファインダー、連動距離計、レバー巻き上げ、クランク巻き戻し。セルフタイマー装備。シャッター速度は倍数系列でT、B、1-1/1000秒。)の発売に合わせて装着された3群7枚の標準的ゾナー型の高速レンズ。ボディ込みで47,000円という価格であった。当時、メルコンIIがニッコール50mmf2付で46,000円、ニッカIIIFがニッコール50mmf2付で49,500円、ニコンSPが50mmf1.4付で98,000円、キヤノンL2が50mmf1.8付で56,000円であった一方、タロンIIがタムロン42mmf1.9付で23,000円、ビューティーカンターがカンター45mmf2.8付で18,000円、リコー35デラックスがリケノン45mmf2付で22,800円、ペトリがスーパーオリコール45mmf2付で23,000円であったことから、f1.5の装着で47,000円という値段はかなり挑戦的な価格設定であった。
しかし、その後の同価格帯のメーカー目黒光学、光学精機(ニッカカメラ)の経緯と田中光学の短い歴史はどうしても重ね合わさってしまう。これらの製品は消費者の高級志向と、経済志向のはざまの価格設定であったため、1959年にCanon
Pが50mmf1.4付で52,700円という低価格で売り出される(当時としては驚異の10万台弱販売)と、急速に市場を奪われてしまう結果になった。
キヤノンのこうした戦略、すなわちマーケットの成熟期までは高級志向で消費者の夢を釣り上げておき、ピークのタイミングが来るや否や、大量生産によるコスト競争力で一気に市場を奪うというマーケティング手法は、1970年代のAE−1でも全く同じ形で繰り返された。
Tanar 5cn f1.5レンズの製造数は500台とも言われるが、明確なデータはない。製造番号の頭に15が付き、その下は3桁しかないことから、最大で999台までしか作る予定がなかったのであろうか?ヘリコイド部分に溝のある黒一色の鏡胴でゼブラ模様にはなっていない。マウント部分被写界深度目盛とヘリコイドレバー部分のみがクローム仕上げとなっている。
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